文化遺産の評価分野

ああ
 
◆密林に覆われた古代水利都市アンコール遺跡群の実像解明・保全・修復研究

【事業概要】
2012年4月に日本をはじめ,フランス,オーストラリア,アメリカ,ハンガリー,カンボジアによるアンコール遺跡群の調査隊が共同で遺跡群全域300km2を網羅するLidar測量を行い,この測量による詳細な地形データが獲得された。今回の測量からはこれまで深い樹林の下に隠され,ほとんど実査に踏み入られることのなかった広大な地区において,約1mメッシュ,10cm精度の数値地形データが得られた。この数値地形データから作成された赤色立体画像からはアンコール遺跡群の都市構造に対する既成概念を一変する多数の水利関連遺構や,現状では機能が全く不確かな幾何学的形状を示す構造等の存在が明らかとなった。
本研究では,この詳細な地形データをもとに,遺跡群の中心に位置する王都アンコール・トムから遺跡群全域にかけて埋蔵遺構調査,遺物・堆積物年代調査等を行うことで,古代アンコール帝国の都市構造の実像解明を進める。特に,アンコール遺跡群全域を網羅する水路・貯水池・寺院環濠等の水管理施設の復元的研究を目的とする。加えて,世界遺産である当遺跡群は毎年のように水害を被っており,本研究で取得する詳細現地形データによる洪水シミュレーション等をもとに,遺跡群の保全・修復のための提案を行う。

密林に覆われた1密林に覆われた2

【期間】
2013-2016

【事業予算】
日本学術振興会/基盤研究(B)

【主要な構成メンバー】
原口 強  (大阪市立大学)、 下田 一太 (筑波大学)、 杉山 洋  (奈良文化財研究所)
 
◆中国仏教美術古典様式完成時期としての「則天武后期(655~705)」の確立

【事業概要】
本研究は、唐時代、則天武后が立后してから退位までの時期(則天武后期、655~705年)に、洛陽や敦煌莫高窟、また山東、河北地方など中国各地で展開した仏教美術の様相に注目し、それぞれの地域で造りだされた像の分析や互いの影響関係について考察を進めることで、この時期に首都西安を中心として、統一様式としての「古典様式」が成立したことを明らかにする。またそれ以前(隋時代末から唐時代初頭)の造像と比べ、具体的に様式、形式上にいかなる変化が生じたかを明らかにすることで、当時の人々が仏教造像に対してどのようなイメージを抱いていたかを理解する。そして則天武后期を初唐時代や盛唐時代と区別し、造像の統一様式が成立したというだけでなく、その後の中国仏教美術の基盤となる「古典様式」完成時期としての評価をおこなう。

【期間】

2013-2015

【事業予算】

日本学術振興会/基盤研究C 

【主要な構成メンバー】
八木春生(筑波大学)、 小沢正人(成城大学)
 
◆クメール古代都市イーシャナプラの都城研究

【事業概要】
イーシャナプラの都城址は一辺2kmのほぼ方形の環壕に囲繞された地区内にある。漢籍史料では『都城の中央には大堂があり,2万戸の家屋が建ち並んでいる』と記され,日本で考えれば,人口10~20万人とも推測されている平城京とほぼ同規模・同時代の都城址である。平城京における長年に渡る緻密な研究の蓄積を鑑みるまでもなく,本格的な都城の解明のためには十分な体制のもとに,長期的な計画に基づいた研究が求められる。
本研究はこれまでの都市全体の地上の痕跡を対象とした研究に引き続き,環濠内の都城地区を地区とし,建築学・考古学・地形学・年代測定学・測量学を主たる調査の手法として,都城の全容解明のための研究に取り組むものである。また,こうした史的価値の高い都城址の,長期的な研究計画を立案するための基礎研究にあたるものであり,ユネスコ世界遺産への申請書類の準備や現地の保存・管理体制づくりなどを含め,将来的な研究の方向性,規模,方法などを策定する。

イーシャナプラ1イーシャナプラ2

【期間】
2012-2016

【事業予算】
日本学術振興会/若手研究(A)

【主要な構成メンバー】
下田 一太(筑波大学)、 Chhum Menghong (早稲田大学)、 So Sokuntheary (Mekong University)、 Chan Vitharong (カンボジア政府文化芸術省)
 
◆クメール帝国の空間構造と地方拠点都市遺跡に関する研究

【事業概要】
本研究は、7~14世紀に現在のカンボジアを中心に栄えた古代クメール帝国の王都であるアンコール遺跡群と、王国の版図内に分布する主要な地方拠点となる古代都市における都市構造と宗教施設について研究するものである。クメール帝国は、王都アンコールを中心とする幹線道路網を構築することで広大な領土を支配し、各地に巨大寺院を築いて地方拠点とのネットワークを構築した。ベン・メアレア、コンポン・スヴァイのプレア・カーン,コー・ケー、バンテアイ・チュマール等の地方拠点は幹線道路と密接な関係を有している。加えて、ダン・レック山脈の断崖絶壁の上に立つプレア・ヴィヘア寺院(2008年ユネスコ世界遺産登録)やニャック・ボアス等は,今日のタイ東北地域に残る多くのクメール寺院と王都との中継を果たす上で重要な拠点を形成している。
これまでアンコール遺跡群を中心として展開してきたクメール研究は、ここ数年の急速な道路事情の改善によって、研究可能な対象が広がりつつあり、長期間の現地調査を伴う、科学的な手法を導入した本格的な研究が可能となっている。本研究ではこれらの遺跡群に対して建築学・地形学・岩石学・考古学・美術史学といった多面的なアプローチにより、クメール帝国の発展の基幹を成した都市概念と空間構造の歴史的解明を目的とするものである。


クメール帝国1クメール帝国2

【期間】

2012-2016

【事業予算】

本学術振興会/基盤研究(A)

【主要な構成メンバー】
溝口 明則 (名城大学)、 中川 武  (筑波大学)、 内田 悦生 (早稲田大学)、 下田 一太 (筑波大学)
 
◆岩石学的アプローチによるアンコール遺跡を代表とした東南アジアの
   石造文化財の解明


【事業概要】
アンコール遺跡では主要建築材として灰色~黄褐色砂岩が使用されている。この砂岩は、アンコール遺跡の北東約30kmのところにあるクレン山の麓に露出しており、そこからアンコール時代の石切り場が発見されている。このクレン山の麓において、集中的に砂岩材石切り場の調査を行い従来報告されていた石切り場を遥かに上回る数の大小の石切り場が発見された。石材の帯磁率から石切り場が開発された時期が判明し、時代による石切り場の移動の様子をある程度明らかにした。
加えて衛星写真と現地踏査の結果、クレン山とアンコール遺跡を繋ぐ水路跡が発見された。その全長はおよそ40kmであり、ほぼ最短距離でクレン山とアンコール遺跡を繋いでおり、この水路がアンコール時代において砂岩材の運搬に使用されていたと考えられる。従来は、クレン山から南下し、途中運河を通ってトンレ・サップ湖に至り、そこから西進してシェム・リアップ川を遡り、アンコール遺跡に至る運搬経路が提唱されていたが、この経路は90kmに達し、かつ、川を遡上しなければならないことから、今回発見された水路が砂岩材運搬に使用されていた可能性が極めて高いと考えられる。

岩石学1岩石学2

【期間】

2011-2013

【事業予算】
日本学術振興会/基盤研究(B)

【主要な構成メンバー】

内田 悦生 (早稲田大学)、 下田 一太 (筑波大学)
 
◆統一様式としての「初唐美術様式」の形成-地域性の喪失に注目して

【事業概要】
本研究の目的は、中国で後漢時代に仏教を受容して以来はじめてとなる、全国規模の仏教美術様式、つまり統一様式としての「初唐様式」出現の様相を明らかにすることにある。しかしその中心的な役割を果たしたはずの首都西安の初唐様式は、現存する造像数が極端に少なく不明な点が多い。そこで隋時代後期(600年頃)から初唐時期(618~712年頃)の大量の如来、菩薩像を有し、作例が一時期に偏ることなく満遍なく存在する敦煌莫高窟をとりあげた。その変遷を辿り、首都西安の初唐様式の復元を試みるともに、敦煌莫高窟における地域性が喪失する過程に注目し、統一様式としての「初唐様式」が成立するメカニズムを解明した。

【期間】
2010-2012

【事業予算】

日本学術振興会/基盤研究(C)

【主要な構成メンバー】
八木春生(筑波大学)、 小沢正人(成城大学)
 
◆中近東・北アフリカにおけるビザンティン建築遺産の記録、
    保存、公開に関する研究


【事業概要】
この研究プロジェクトの対象は古代の中世の過渡期となる 6世紀前後の遺構で、地域は中近東・北アフリカ (シリア、ヨルダン、リビア、アルジェリア等 )に及び、特にリビアでの考古遺跡発掘は日本で初めての試みとである。研究活動には最新の機材が導入され、比較的少人数の研究者で機動的に実測・記録・分析作業が行われたほか、わが国の国際貢献として、対象地域各国の専門家との交流、現地若手研究者・学生への研修・教育をも含む包括的な活動である。

ビザンティン建築遺産ビザンティン建築遺産ビザンチン2

【期間】
2009-2013

【事業予算】
日本学術振興会/基盤研究S

【主要な構成メンバー】
日高 健一郎 (筑波大学)、 田村 幸雄 (東京工芸大学)、 石崎 武志 (東京文化財研究所)、 原 隆 (徳山工業高等専門学校)、 水嶋 英治 (常磐大学)、 吉田 昭人 (東京工芸大学)、 高根沢 均 (神戸夙川学院大学)
 
◆中国隋初期仏教美術様式、形式という新概念の成立

【事業概要】
本研究は、初唐時代の仏教美術の様相を考察する前段階として、隋時代の仏教造像についての調査をおこなうものである。北周時代末に断行された廃仏の影響で、隋初の仏教美術は未だどこも復興的な色彩が強く、地域性が残り、またその後各地では自らの伝統を基礎として発展を遂げたため、隋時代に統一的な様式、形式が成立するには至らなかった。600年頃までにはしかし、旧北斉旧北周の両領域において、ともに現実世界に存在するリーダー的な資質を備えた、自国の高貴な若い人物として菩薩像が造形化されるようになった。各地で細部形式は異なっていたものの、中国全土で統一的なイメージが形成されたのは重要である。このことから、隋時代前期とは、統一様式や形式が出現する準備が整えられた時期であったと評価できる。

【期間】

2007-2009

【事業予算】
日本学術振興会/基盤研究(C)

【主要な構成メンバー】
八木春生(筑波大学)、 小沢正人(成城大学)
 
◆東魏・北斉時代仏教美術にみられる先進性と保守性について

【事業概要】

本研究は、北魏が滅亡し東西に分裂した後、東魏、北斉時代にいかなる仏教造像活動がなされたかを明らかにしたものである。北魏洛陽遷都から隋による南北朝時代終結までの間(494~589)、仏教美術の様相が一変するのは、550年代以降、北斉、北周時代であった。北魏後期及び東西魏時代、像の身体は厚い袈裟や天衣に覆い隠されたが、この時期像は肉体の存在を強く主張し始める。工人たちの主眼が人体の量感表現に置かれたのは、人々の理想としての仏像が、超人的な存在から生身の人間的なものへと表現を転換した。その頃南インドや東南アジアなどから新たな情報が大量に流入したことが、転換の原動力となった。これは、洛陽遷都以降進行した「漢民族化した仏教美術」からの脱却と言い換えられる。その変化がいち早く明らかとなったのが、北斉初代皇帝文宣帝により首都?に開かれた北響堂山石窟北洞(550年代初頭)であった。しかしながら、この北洞にはまた北魏時代に皇室により造営された鞏県石窟からの影響も認められるのである。それゆえこの時期、必ずしも西方からの新たな様式を受容するだけではなく、北魏時代の伝統も部分的に継続していたことを明らかにした。

【期間】

2003-2004

【事業予算】
日本学術振興会/基盤研究(C)

【主要な構成メンバー】
八木春生(筑波大学)、 小沢正人(成城大学)