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筑波大学自然保護寄付講座
 

コラム

筑波大学における世界遺産教育の現状と将来
吉田正人

 


* 本稿は日本遺跡学会学会誌遺跡学研究』第10号(2013)に掲載された論考です。


1. はじめに

197211月のユネスコ総会において、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(以下、世界遺産条約)」が採択されてから40周年を迎えた2012年、各国で世界遺産条約40周年を記念した催しが開催され、11月には京都で公式の世界遺産条約40周年最終会合が開催された。1992年に世界遺産条約を批准し、1993年に法隆寺、姫路城、屋久島、白神山地が世界遺産リストに登録されてから今年で20年を迎える。我が国が世界遺産条約に加盟したのは、先進国の中でも最も遅かったにもかかわらず、世界遺産条約に関する一般向けの書籍、DVDなどが書店にあふれ、TBSNHKなど放送各社が定期的な世界遺産番組を放送し、また世界遺産委員会などで最新の技術を駆使したプレゼンを行っているのは、ソニー、パナソニックなどの日本企業である。

これだけ、一般向けの普及活動が行われている世界遺産条約ではあるが、我が国において世界遺産という名称を掲げている高等教育組織はそれほど多いとはいえない。ここでは、2004年に筑波大学大学院に設置された、世界遺産専攻、世界文化遺産学専攻を例に、世界遺産に関する専門教育の現状と将来を考えてみたい。

 

2. 筑波大学における世界遺産教育

筑波大学大学院に世界遺産専攻が設置されたのは20044月のことである。当時、すでに国内には文化遺産9カ所、自然遺産2カ所、合計11ヶ所が世界遺産リストに登録され、さらに文化遺産では「紀伊山地の霊場と参詣道」、「石見銀山とその文化的景観」、自然遺産では「知床」、「小笠原諸島」が世界遺産登録を目指していた。自然遺産に関しては、1993年に屋久島、白神山地が登録されて以来、10年以上新規登録がなかったが、自然遺産に関しても暫定リストが求められるようになり、2003年には、環境省と林野庁が「国内の自然遺産候補地に関する懇談会」を開催し、「知床」、「小笠原諸島」、「琉球諸島」を次の自然遺産候補地として選定した。文化遺産に関しては、1993年に法隆寺、姫路城が登録されてから、暫定リストに掲載されている候補地の世界遺産登録が進み、2007年に文化庁は全国の地方自治体に対して、次の候補地の推薦を求めた。

このように国内的には、新たな世界遺産候補地の選定が進められる一方で、国際的には世界遺産のアンバランスを解消するためのグローバルストラテジーの下でこれまで登録が少なかった、文化的景観、産業遺産、地形地質・生物多様性を代表する自然遺産などのテーマ別研究が進められ、世界遺産の概念の多様化が図られてきた。文化遺産に関しては、2003年の無形文化遺産保護条約、2005年の文化の多様性に関する条約の採択など、世界遺産条約の枠組みを超えた概念も導入されはじめた。

このような、国内外の状況の中で、総合的かつ体系的な世界遺産学の確立が必要になるとともに、すでに世界遺産リストに登録された地域あるいは世界遺産登録をめざす自治体からは、世界遺産登録後の保全・管理に関する専門的な知識を持った人材が求められるようになってきたのである。筑波大学大学院に世界遺産専攻が設置された当時の背景として、このような国内外の動きがあったことは注目すべきであろう。

 
1)     教育課程

世界遺産専攻(博士前期課程)および世界文化遺産学専攻(博士後期課程)は、筑波大学大学院人間総合科学研究科に設置されている。世界遺産専攻の定員は1学年15名、世界文化遺産学専攻の定員は1学年7名であり、10名の教員が授業および研究指導にあたっている。

 世界遺産専攻は、①国際遺産学分野、②文化遺産の評価と保存分野、③遺産のマネージメントとプラニング分野の3分野に分かれ、それぞれ
3人前後の専任教員が担当している。世界遺産学という研究そのものが、学際的な研究分野であるため、最初から大学院生を3分野に分けるのではなく、世界遺産学の全体像を把握する必修授業が終わった後で、それぞれの研究テーマに応じて、指導教員を決めることで、必然的に研究分野が決まってくる。

  
国際遺産学分野

国際遺産学分野では、世界遺産条約の基礎となるユネスコ等の国連機関、世界遺産条約の諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)、国際自然保護連合(IUCN)などの役割、文化遺産・自然遺産の保存、保全、復元などに関する基本的な概念などを理解した上で、近年の世界遺産委員会等の会議における文化遺産・自然遺産に関する議論、世界遺産の現場における課題とその解決にかかる議論を大学院生もいっしょに参加して考える授業を行っている。また、国際遺産学分野の大学院生は、後述する国際交渉力強化プログラムを履修する学生が多く、ユネスコ、ICOMOSIUCN等からのゲストを招いて、英語で議論するとともに、主にアジア地域の世界遺産を訪ね、現場における問題を解決するため、地域の人々と議論する実習も行っている。

  
文化遺産の評価と保存分野

文化遺産の評価と保存にあたっては、遺産の保存・修復の技術だけではなく、遺産の価値の評価と保存・修復に関する哲学が求められる。文化遺産の評価と保存分野では、文化財保護の基礎となる保存哲学、文化財保護のための保存科学、美術遺産、建築遺産の保存に関する授業のほか、日本国内の文化遺産はもとより、中国の仏教美術、カンボジアやインドネシアのヒンズー教・仏教遺跡など、アジア各国の文化遺産を対象に、実践的な演習や実習を行っている。

  
遺産のマネージメントとプラニング分野

世界遺産を保護するためには、世界遺産に登録された資産だけではなく、その周辺を含む広域の保護管理計画が必要となる。遺産のマネージメントとプラニング分野では、遺産整備計画、地域遺産、遺産観光、文化的景観などに関する授業のほか、実際に白川郷・五箇山、石見銀山、小笠原諸島などの世界遺産地域を訪ねる文化遺産演習、自然遺産演習など、遺産のマネージメントとプラニングに関する実践的な研究を行っている。

2)     
教育体制

20134月現在、教授4名、准教授4名、助教2名が配属されており、分野別の内訳は、①国際遺産学分野が、教授2名、准教授1名、②文化遺産の評価と保存分野が、教授1名、准教授1名、助教2名、③遺産のマネージメントとプラニング分野が、教授1名、准教授2名となっている。教員の専門分野は、建築史、美術史、考古学、保存哲学、保存科学、自然保護、遺産整備計画、文化的景観、観光計画、国際協力など多岐にわたっており、専任教員だけでは十分にカバーできない分野(宗教論、無形遺産論、文化財保護・自然保護行政論など)については、非常勤講師による集中講義を実施している。

 

3.  国際遺産学分野と国際交渉力強化プログラム

ここでは、とくに国際遺産学分野と国際交渉力強化プログラムに重点をおいて、世界遺産専攻のプログラムのうち、世界遺産に関する国際理解や国際協力に関する教育プログラムの紹介をしたい。

1)     
国際交渉力強化プログラムの概要

国際交渉力強化プログラムは、2011年度から2014年度の期間、筑波大学人文社会科学研究科、人間総合科学研究科世界遺産専攻、ビジネス科学研究科国際プロフェッショナル専攻の3研究科が中心となって実施しているサーティフィケート・プログラムであり、専門領域に関する知識を深めるだけでなく、他領域や異文化とのコミュニケーション、国際的な現場でのプログラム実習などを通じて、国際交渉力を高めることを目的とした英語の授業である。なお履修生は、3専攻合計で、1学年25名であり、世界遺産専攻からは毎年56名の履修生を選考している。履修生は、将来、国際的な現場で働くことをめざす日本人学生が多いが、英語での授業であることから、留学生の履修も増えている。
 国際交渉力強化プログラムには、世界遺産専攻の教授1名がプログラムリーダーとなる他、もっぱらこのプログラムを担当し、学生の履修相談にのるため新たに准教授1名を採用した。

世界遺産専攻は、「環境、開発、保全」をテーマに、文化遺産や自然遺産の保全と、持続可能な開発との両立を中心課題として、プログラムを提供している。

共通必修科目である「環境、開発、保全」では、松浦晃一郎前ユネスコ事務局長による特別講義を皮切りに、ナタラジャン・イシュワラン前ユネスコ科学部長、ジェシカ・ブラウン国際自然保護連合世界保護地域委員会(IUCN-WCPA)景観保護地域委員長を招き、世界自然遺産、生物圏保存地域(ユネスコエコパーク)の内外における、環境保全と持続可能な開発に関するベスト・プラクティスを実例とした、講義および討論を行った。

選択必修科目である「国際恊働系交渉論」では、国連機関の役割、世界遺産と国際協力、世界遺産と市民参加、世界遺産と持続可能性、プロジェクトマネージメントなどのテーマで、国連大学サスティナビティと平和研究所のベセレン・ポポスキー教授、上智大学地球環境学研究科のアン・マクドナルド教授、フィリピンの棚田保存に取り組むセイブ・イフガオ・テラス・ムーブメント(SITMO)のマーロン・マーチン氏、ネパールのネワール建築の保存活用に取り組む都市計画家カイ・ワイゼ氏、タンザニア・ザンジバルの歴史的都市をはじめアフリカの文化遺産の保護に取り組むモハメド・ジュマ氏、国際自然保護連合(IUCN)のコンサルタントとして自然遺産の評価と保存に取り組んできたピーター・シェイディー氏らとの対話型の授業を通じて、文化自然遺産の保護と持続可能な発展をいかに実現するかを議論した。

 

2)国際交渉力強化プログラムのプロジェクト実習

またプログラムの最大の特徴でもあるプロジェクト実習では、フィリピンのイフガオ州の棚田を訪れ、住民にアンケート調査を実施したり、ネパールのパタンに残るネワール建築に泊まりながら、住民とのワークショップを行うなどの実習を行った。その一例を紹介したい。

フィリピンのルソン島北部のコルディレーラ山脈は、スペインによる統治時代も文化的な独自性を維持し、耕して天にいたると言われる棚田、田植えや稲刈りの際に歌われるフッドフッドという詠歌に代表される口承など、文化自然遺産、無形文化遺産の宝庫といえる。コルディレーラの棚田は、1995年に世界文化遺産(文化的景観)に登録され、フッドフッドの詠歌は2001年に世界無形文化遺産に登録された。しかし、自然災害、後継者不足などによって、コルディレーラの棚田は、2001年から2012年の間、危険にさらされた世界遺産リスト(危機遺産リスト)に掲載された。

 国際交渉力強化プログラムにおいて学生たちがコルディレーラの棚田を訪れたのは、危機遺産からの削除が検討された
2012年の春であった。マニラから、9時間バスに乗ってようやく、イフガオ州の棚田の中心地であるバタッドに着く。翌朝、バスを乗り換え、3時間かけて、ようやく実習地であるハパオに到着。イフガオ州立大学の学生たちと合流し、昼食を食べながら、実習の打ち合わせをする(写真1)。

写真1. フィリピン、イフガオ州の棚田で実習を行う学生たち



 実習の目的は、イフガオ州の住民にとって、「遺産」とは何かを知ることである。世界遺産に登録された棚田を訪れる観光客にとっては、棚田の景観が「遺産」そのものだが、先祖から棚田を引き継ぐ人々にとって、何が「遺産」なのだろうか? 学生たちが提案した方法は、イフガオの住民にポライドカメラを持って、「私にとっての遺産」だと考えるものを写真に撮ってもらうというものだ。実習1日目の午後、2日目の午前午後、3日目の午前午後と、異なる集落の人々に集まってもらい、2〜3時間ほど歩いて写真を撮り、各自が撮った写真を地図に張り付けてもらった。実習
4日目には、参加した人々に集落の集会場に集まってもらい、筑波大学とイフガオ州立大学の学生が一緒になって発表を行った(写真2)。

写真2. フィリピン、イフガオ州で実習の発表を行う学生たち


この実習を通じて、学生たちはイフガオの住民にとって、「遺産」とは一般的な棚田の風景ではなく、自分が先祖から引きついだ棚田であり、そこに水を引くための水路やそこにみられる動植物だということに気づく。イフガオの人々は、食用、薬用になる動植物について深い知識を持っており、生物の多様性が文化の多様性につながっているということにも気づいた。

このような実習こそ、国際交渉力強化プログラムが狙いとしていたものであり、他国の文化を深く理解してこそ、国際協力につながる国際交渉ができるのである。

 


3)     国際交渉力プログラムから国際遺産学分野への発展

国際遺産学分野は、国際交渉力強化プログラムでの蓄積を生かして、恒常的なプログラム化を図ろうとするものであり、国際交渉力強化プログラムを担当する教授陣がこの分野を担当し、授業はすべて英語で行われる。現段階では、国際交渉力強化プログラムが進行中であるため、それらをコードシェア科目として認定しているほか、国際遺産学分野の独自の英語授業「Heritage theory and Policy Studies」も行っている。国際交渉力強化プログラムが終了した後も、世界遺産専攻の分野として、英語の授業やプログラム実習を続けて行くための資金と人材確保が今後の課題である。

また将来的に国際機関や国際協力の現場で活躍するには、博士前期課程2年間のみでは十分とはいえない。現在、ドイツのブランデンブルグ工科大学との協定に基づき、コットブスにある世界遺産専攻との交換留学を行っている。毎年3名を上限とする学生が、コットブスの世界遺産専攻で英語の授業を受けるとともに、各国から集まった留学生との交流を深めている。単位互換協定によって、コットブスの世界遺産専攻で取得した単位を、筑波大学の修了単位に振り返ることができるため、コットブスへの留学期間を含めて2年間で修了する学生もいるが、長期間留学をする学生は留学期間を合わせて3年かけて修了する学生が多い。またコットブスの学生は、ICOMOSIUCNなど、ヨーロッパにある国際機関でインターンを経験する学生も多い。将来的に国際機関で働こうとすれば、このようなインターン経験は必須であろう。国際遺産学分野の大学院生が、将来的に世界遺産に関係する分野で活躍するには、このような留学・インターン経験は必須であり、留学先の大学および国際機関でのインターンシップの拡大が、今後の課題である。

 

4. 世界遺産に関する人材育成の将来

 世界遺産専攻を修了した大学院生が、どのような分野で活躍することを期待して人材育成しているかは、よく聞かれる質問の一つである。大きく分けると、3つの分野が期待される。

 一つは、大学において、建築史、考古学、美術史、保存科学などを専攻した学生である。彼らは、建築物や遺跡、仏像、絵画など、細部の保存や修復にこだわりを持っている。このような学生は、文化財の評価と保存分野において、文化財の評価に関する鑑定眼を持ち、また文化財の真実性を失うことのない保存・修復技術を身につけることで、博物館・美術館等において将来的な活躍の場を見つけることが期待される。

 もう一つは、大学において、建築・都市計画、町並み保存、農村景観、観光計画などを学んだ学生である。彼らは、世界遺産地域を広い視野で見ることに慣れている。このような学生は、遺産のマネージメントとプラニング分野において、遺産整備、地域計画などの能力を身につけることで、すでに世界遺産に登録された自治体、これから世界遺産登録をめざす自治体等において、活躍の場を見つけることが期待される。

 最後に、国際遺産学分野において、英語の授業や海外におけるプログラム実習を経験した学生は、海外インターン等を経験した後で、国際協力機関、NGO、海外協力に携わるコンサルタントなどにおける活躍が期待される。また、世界遺産専攻で教育を受けた留学生は、母国に帰国し、行政機関、文化財保護研究機関、博物館などにおいて、リーダーシップをとることが期待される。

 さらに、2006年に設置された世界文化遺産学専攻(博士後期課程)においては、世界文化遺産の保存、保全,修復などに関する専門的な研究に基づき、博士論文を提出した者に対して、博士(世界遺産学)、博士(学術)の学位を授与している。すでに、14名が博士号を取得し、文化財保存に関する研究、大学教育などに従事している。

 筑波大学大学院における、世界遺産教育の概要を述べてきた。大学院生の中には、学校教育、生涯教育などにおける世界遺産教育について研究している学生もおり、今後、専門教育と学校教育、生涯教育との連携を高めることが求められる。





引用文献

文化庁(2008)我が国の世界遺産一覧表への文化資産の追加記載に係る調査・審議の結果について(http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/sekaibunkaisan/singi_kekka/

外務省(2012)世界遺産条約採択40周年記念最終会合報告書(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/kyoryoku/unesco/isan/world/pdfs/report_40th.pdf

環境省(2003)世界自然遺産候補地に関する検討会(http://www.env.go.jp/nature/isan/kento/

岡橋ほか(2012What is “heritage” for the HunduanPeople? – Significance of a World Heritage landscape for local lives https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/dspace/handle/2241/116716

佐藤禎一(2008)文化と国際法—世界遺産条約・無形遺産条約と文化多様性条約.玉川大学出版部

吉田正人(2012)世界自然遺産と生物多様性保全.地人書館