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筑波大学自然保護寄付講座
 

アンコール遺跡群

下田一太


アンコールワットをはじめとするカンボジアの遺跡群は,東南アジアの人気観光スポットの一つですが,その全容はまだまだ謎に包まれています。かつて現地に駐在し,日本政府が行う遺跡修復保存事業の調整や現場管理に関わっていた下田一太(芸術系)に,アンコール遺跡群の魅力と課題を伺いました。



王都アンコール・トムの中心寺院「バイヨン」
密林の下で忘れられた謎の王朝

9世紀から15世紀にかけて,インドシナ半島のほぼ全域を支配していたクメール王朝。統治していた範囲も期間も巨大な王国でしたが,歴史研究においては文字資料が少なく,詳しいことはいまだによく分かっていません。1431年にアユタヤ王朝(現在のタイ)によって滅ぼされた後,地域全体が密林に覆われてしまい,19世紀半ばに再発見されるまで誰にも知られることはありませんでした。本格的な発掘調査が始まったのは20世紀に入ってからで,現在では日本も含めたたくさんの国々が,保存・修復作業と遺跡研究の国際共同事業に参加しています。

近年,最新のレーザー技術を用いて密林に埋もれた遺跡を上空からスキャンしたところ,古代都市の構造がわかってきました。クメール王朝の王都であったアンコール・トムは,3km四方の環濠に囲まれ,多数の寺院や王宮の跡地の存在が知られていましたが,加えて格子状に水路が張り巡らされていた都市の基本骨格が鮮明に浮かび上がったのです。土地の高低差がほとんどなく,雨季と乾季に二分されるという都市的な集住のためには厳しい環境条件を克服し,数百年に渡って文明が栄える礎となった水利技術です。それでも王朝は滅びました。気候変動など何らかの理由でこの水路が機能しなくなったことが,その一因だという説がありますが,王朝滅亡のプロセスはアンコール研究の最大の課題です。

 

アンコール遺跡群の中央の密林の中より浮かび上がった古代の水利網

国の復興を支える遺跡群

197080年代の国内の混乱がようやく終息したカンボジアに対して,その復興を支えようと各国が取り組んだのが遺跡修復事業でした。アンコール遺跡群の世界遺産登録(1992年)は,復興のための国際支援を開始する契機となりました。世界中の専門家が遺跡群の保存・修復活動のために訪れるようになりました。日本政府は世界遺産登録の準備段階から,積極的にカンボジアの復興を支援し,長期にわたり修復事業を継続しています。

世界遺産に登録された遺跡群は,山手線内の面積の7倍にも及びます。その外側にも当時の生活圏が広がっていますから,全体からすると,世界遺産に登録されているのはごく一部ということになります。各国は寺院遺跡ごとに分担して修復作業にあたっています。その進捗状況は年に2回開催される国際会議で報告され,修復技術や研究成果の情報共有が図られます。アンコール遺跡群が文化遺産保存のオリンピック会場とも言われるゆえんです。

 

「バイヨン寺院」の修復工事(写真提供:日本国政府アンコール遺跡救済チーム)

神々は語る

遺跡研究は単なるロマンではありません。保存・修復に有用な新しい知見も次々と発見されます。一見,不合理に思える建造物や工法などから読み解かれる当時の文化や思想には,現代技術とは異なる新たな視点の気づきや,現在に生きる私達への警鐘として学ぶべき示唆も含まれています。

クメール王朝はインド文化の受容のもとに発展し,在地文化と外来文化とが交わることで独自の芸術文化を開花させました。12世紀に国家は一度大きく傾きますが,その復興時代には寛容な信仰の精神によって国は再建され,より強固な国体が築かれました。この時代に建立されたバイヨン寺院には,様々な神が祀られており,それらにまつわる物語が浮き彫りとして残されています。そのような平和的な思想のもとに,民族も調和してきたのです。

アンコールワットの回廊には,神と阿修羅が綱引きをしているような浮彫が描かれています。「乳海攪拌」という神話で,かき混ぜられた海の中からは聖なる生き物や女神が現れ,最後には不老不死の薬が生み出されるストーリーです。綱引きのように見えますが,実は両者は協力して,真ん中の巨大な山を回転させています。神と阿修羅は善と悪の象徴ですが,善悪は単純に二分できないという思想を表しているようです。この神話が示している多様性を許容し調和を重視する統治の精神は,都市計画の中でも壮大なスケールで表現され,人々に深く浸透していたと考えられます。

 

アンコールワットの浮彫「乳海攪拌」

古代クメール都市アンコールトムの陸橋に表現された「乳海攪拌」の立体彫刻

地域の人々と遺跡を結ぶ

国際協力による遺跡群の保存・修復事業は,カンボジアの文化復興はもとより人材育成にも大きく貢献してきました。当初は海外の専門家が中心に事業は進められてきましたが,段階的に修復技術や文化財保存のノウハウを移転し,最終的にはカンボジア政府が自立的に遺跡のマネジメントを行うことが目指されています。20年以上にわたる国際支援を通して,現地の人材が育ち,彼らを中心に事業を進めていく体制が整いつつあります。

クメール王朝の歴史は,カンボジアの歴史教育やナショナルアイデンティティーの形成に重要な意義を持っていますが,遺跡群が観光資源として発展するにつれて,かえって地域住民とのかかわりは希薄になりがちです。筑波大学では学生が演習として現地を訪れ,周辺住民の意識調査や地元学生とのディスカッションを重ね,地域の人々が,自分たちのかけがえのない財産として遺跡の価値を理解し,それを地域のニーズや慣習に沿った形で活かしていけるよう手助けをしています。様々なレベル・規模での遺跡保存活動が,カンボジアの成長を後押しし見守り続けています。



筑波大学生と現地学生の交流演習

特集〔筑波大学と世界遺産〕 Tsukuba Communications vol.27, 2015